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  • 執筆者の写真love965

若手活動家ツアー参加者のリポートです。

更新日:2020年6月9日


昨年9月に行われた「性暴力・性搾取に取り組む若手活動家ツアー」、その様子をHPでもご報告してきました。今回は参加者のcolabo代表 仁藤夢乃さんのリポートをご紹介します。

☆1月26日金曜19:00〜 早稲田大学戸山キャンパス文化構想学部36号館681教室

「性暴力・性搾取に取り組む若手活動家ツアー」報告会を行います。お話くださる方は、

colabo代表 仁藤夢野さん、PAPS 金尻カズナさん、キボタネ理事の岡本有佳さん、

予約、参加費は不要です。みなさん、是非お越しください。

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「慰安婦」にされたハルモニとの出会い

仁藤夢乃

・平和のウリチプ(我が家)に暮らすハルモニ

2015年秋、東京で開催されていた元日本軍「慰安婦」のインドネシア女性たちの姿を映したヤン・バニング写真展に、ある女の子と足を運んだ。売春強要の被害経験を持つ彼女は、慰安婦にされた女性たちの体験に「私も同じ」と震えながら話した。インドネシアの女性たちの証言と、かつての自分を含む現代の日本の中高生が体験している現実が重なった。この写真展を訪れたことがきっかけの1つとなり、自分たちも現状を伝えたいとColaboとつながる女の子たちが立ち上がり、児童買春の実態を伝える「私たちは『買われた』展」を2016年夏から開催している。慰安婦問題についてもっと知りたいと思い、このツアーに参加した。そこで、当事者の女性たちに直接話を聞くことができた。 旧日本軍の「慰安婦」にさせられたハルモニ(おばあさんの意)が暮らすシェルターを訪ねた。高齢になった元「慰安婦」の女性たちを支えるために作られた、「平和のウリチプ(我が家)」という名の施設である。 ドアを開けると玄関に小さなおばあさんが立っていて、日本語で「お座り」と言ってくれた。当年90歳になる吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニだ。彼女は少女だった頃に旧日本軍の慰安婦にされ、一度は将来の夢を絶たれた。しかし今では証言集会に立つなどの活動だけではなく、その様子がドキュメンタリー映画で紹介されたり、歌手デビューをしたり、子どもの頃からの夢をかなえているのだと話してくれた。 もう一人、92歳になる金福童(キム・ボクトン)ハルモニも、「いらっしゃいませ」と日本語で私たちを迎えてくれた。二人が私たちの訪問を受け入れて、私たちに合わせた言葉で声をかけてくれて嬉しかった。だけど、彼女たちが日本語を話せるわけを考えると、複雑な気持ちにもなった。このシェルターを訪問する数日前、ソウル特別市の日本大使館の前で行われている「水曜デモ」を訪れた。これは毎週水曜日、慰安婦問題について日本政府に謝罪と歴史的事実の認定を求めるために行われている市民集会だ。二人のハルモニは90歳を越す年齢となっても、この集会に毎回のように参加している。

・金福童さんから聞いた体験談

シェルターで出会った金福童ハルモニは、自身の体験を語ってくれた。こちらをまっすぐ見ながら、怒りに満ちた声で、でも落ち着いてこう話してくれた。 「私が暮らしていた朝鮮は、心優しい純粋な人たちが暮らしている地域だと言われていました。ある時、日本軍が他の地域に行くということで、道をあけてくれという言い方で私たちの所にやって来たので、日本軍に道をあけてあげました。すると日本は私たちの国を占領し、それが100年続きました。私たちは長い間、奴隷となって生きるしかありませんでした。私の家は農業で生活を営む農民でした。しかし土地は日本軍に奪われ、日本のものだということになり、作物はほとんどを税として供出するよう命じられ、もって行かれました。お腹が減っても食べるものがなく、自分たちは農業をしているのに、野草や木の皮を採って食べながら生きてきました。そして大戦が起きた時、日本は私たちからたくさんのものを奪っていきました。私たちは名前さえも奪われ、日本名に変えさせられました。私もカナモトフクヨという名前を付けられました。すべての朝鮮人が完全な日本人にさせられたうえで、男の人は徴用徴兵で連れて行かれ、女の人は幼い人では13歳くらいから慰安所に連れて行かれました。 村ごとに少女を何十人ずつ集めろと言われ、私も軍服工場に行くと騙されて連れて行かれました。連れて行かれないように結婚してしまおうとも思ったのですが、その当時は相手を探そうにも男の人は徴兵されて、近くにいない状況でした。そして私は14歳の時に連れて行かれました。着いた場所は日本の戦場の第一線でした。そこから私は、慰安婦としての生活を送ることになりました。 私たちは日本軍が戦争を起こし、侵略してゆく後方にいて、日本軍が上陸するとそれについて行く形で、日本の戦場の至るところに行きました。台湾から始まり、中国の広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワと転々とさせられ、終戦時にはシンガポールにいました。戦争が終わり、私が祖国に帰って来られたのは8年後、22歳の時でした。帰っては来たけど、自分が受けた被害を誰にも言えずにいました。体もボロボロになっていたので、家で養生しながら生活していましたが、母が結婚を勧めて来た時に、自分が受けた被害を話しました。それを聞いた母はショックを受けていましたが、そのことを母も誰にも話すことはできませんでした。その影響もあり、母はその後病気で亡くなってしまいました」

・ハルモニたちは何を望むのか

金福童ハルモニは日本政府の対応について次のように話した。「私たちは、お金が必要だから日本政府と闘っているのではありません。私たちが悔しい思いで連れて行かれたことを、世界中がすでに知っているにもかかわらず、日本政府だけが『自分たちがやったわけではない、民間がやったことだ、被害者本人たちが自らやったことだ』と言っています。私たちは、自分の意思で行ったのではありません。私たちは日本政府に対して、正しいことをきちんと伝えるべきだ、と求めています。日本政府が記者たちを集めて、公的な場で私たちの名誉を回復することを望んでいるのです。しかし、安倍政権は自分たちがしたことについて、自分たちがしたのではないと言っています。その代わりに、日本政府が韓国側に作った財団に約10億円を渡し、被害者に1000万円ずつ配るということをやっています。お金は私たちには必要ありません。お金ではなく、日本が行った過ちを正し、私たちの名誉を回復すること、被害者たちが自ら望んでいったのだという主張を破棄させることを望んでいるのです」

そうして話の最後に「みなさんにも、日本に帰ったら安倍政権が正しくこの問題を解決するよう、謝罪するように運動してほしいです。何か聞きたいことがあれば、何でも話します。何でも聞いてください」と言ってくれたが、私は胸がつまって言葉にならなかった。すると、最初に出迎えてくれた吉元玉ハルモニがこう話した。「少女たちが自分たちの自由意志でお金を稼ぎに行ったと日本政府は言うけれど、どこに行くのかもわからないのに、どうして行けるのか。自分の意思で、自由な選択として行ったというけれど、何もわからないまま、行くという選択がどうしてできるのか。若い女の子が家にいて、突然、どこに行くのかもわからないのにお金を稼ぎに行こうと思うか。そのような主張を日本政府がすること自体が、とんでもないことです。これは、はっきりさせないといけないと思います。人というのは、誰しも間違いを起こすものです。間違いを起こしてしまっても、それを自ら悟ったならば修正して、謝罪することが解決のための早い道だと思います。それを、自分はそんなことをしていないとし、人のせいにしてしまい、事実を曲げて乗り越えようとするのは不可能なことです。正直に自分の罪を認めてほしい」

ハルモニたちは、自分たちの被害体験や気持ちが尊重されていないと感じているのだと思った。最後まで、慰安婦問題解決のために何もしてこなかった私たちの目をまっすぐ見ながら語ってくれたことに感謝と尊敬の念を抱いた。 それと同時に、怒りと悔しさで胸がいっぱいになった。目の前で自分の大切な人が傷つけられているのを見た時と同じような気持ちになって涙がでた。ハルモニたちと自分。ハルモニたちと、今日本でColabo(コラボ)の活動で出会っている少女たちとが重なって見えた。そして、変わらない日本の現状にも悔しさがこみあげてきた。

・現代の性的搾取と根本は同じ

現代の日本社会でも、少女の性的搾取の問題は深刻だ。日本でも、ハルモニたちが連れて行かれたのと同じくらいの年齢の子たちが、騙されて性的に搾取されることが日々起きている。しかしそれに対しても、自ら好きでやったんだろうとか、売りたくて売っているんだろう、というような言い方で被害をなかったことにするような声は大きい。児童買春については大手メディアも「援助交際」という言葉で、少女が自ら好きでやっているという文脈で、大人から子どもへの援助であるかのように語る。業者は「JKビジネス」など次々と新たな手口を見出し、少女たちを騙して働かせている。私は活動を始めてから、子どもへの性暴力をないものにしたがる人がいることや、児童ポルノの容認派や子どもや女性の性を商品化して儲けたい人たちからの嫌がらせ、脅迫やデマなどに日々さらされることになった。そんな目に遭うと知らずに活動を始めたので初めは驚き、怖かった。2015年、外国人特派員協会においてJKビジネスなど日本の児童買春問題を指摘したことや、児童ポルノ問題を専門とする国連特別報告者の調査に協力したことで、私を黙らせようとする勢いはさらに強くなった。「仁藤夢乃は朝鮮人」「慰安婦問題に取り組んでいる誰々とつながりがある人物だ」というようなこともネットに書かれるようになり、最初はその意味がわからなかった。そのうち日本の性暴力をないものにしたい人と、慰安婦問題をなかったことにしたい人が重なることに気づいた時、正直、「慰安婦問題ってよくわからないし、関わるとひどい目に遭う」と思って自分から距離をとろうとしてしまった時期もあった。しかし、慰安婦問題のことを知れば知るほど、今の性的搾取の手口と繋がっていることに気づき、「これは自分たちの問題だ」と思い始めた。Colaboでは、元慰安婦たちの証言に「私も同じだ」と女の子たちが共感したことがきっかけで、児童買春の実態を伝える「私たちは『買われた』展」を開催し、各地を巡回している。が、それに対しても「売ったほうが悪い」「被害者ぶるな」とか、「ねつ造だ」「売春少女は全員朝鮮人」などの差別や誹謗中傷があふれている。重要なのは、年端もいかない少女が大人の男たちに支配され、騙され、暴力を受けたという事実である。しかし中には、「でも彼女らはお金をもらっているんだから、何の問題があるの?」と、性暴力を肯定しようとする人もたくさんいる。これは、日本社会の状況を表していると思う。

・「なかったこと」にはさせたくない

「私たちが、こうして口にするのも嫌な被害について若い人たちの前で話すのは、私たちが受けたようなとんでもない悲劇を、決してあなたたちは受けてはいけないという想いからです」と、吉元玉ハルモニは言う。金福童ハルモニも「本当に辛いです。今年92歳になりましたが、できればこの無念を解いてから死にたいと思っています。でも、果たして死ぬ前に無念を晴らせるのか、今もまだわかりません。この問題の解決のために運動している日本や韓国のみなさんが、お互いに手をつないで運動することで、大きな広がりになるといいと思っています。私は、すべての人が平和な世界で互いに穏やかに暮らしていく、そんな世界を望んでいます。そして日本政府には、自分たちがやったことを一日も早く認めてほしい。そうなれば、そのあとは足を伸ばし、気楽に安らかに生きていけるのではないかと思います」と話してくれた。最後に、「今、性暴力の被害を受けたり、それを誰にも言えずにいる少女たちに何か声をかけるとしたら、何と言いますか?」と質問した。金福童ハルモニは「私が何か言ったからといって、その人が受けた被害がなくなるわけではないけれど、一人でいるんじゃなくて、いろいろな人と繋がってほしい。一人が転んでも、誰かと一緒にいたら助けてくれる。助け合う事が大切。一人で抱えないでほしい」と韓国語で話した後、日本語で「男が悪いよね」と言った。私は涙が止まらなかった。 吉元玉ハルモニは、「例えば10人中、悪い人が8人いて、いい人が2人いた時に、その2人の役割が重要です。どんなに悪い人がたくさんいても、それを正そうとする人の役割が大切。世界を変えていく存在になる。たとえ数は少なくても、いい人が一生懸命活動することで、それによって悪い人たちも変わっていくのです」と言い、励ましてくれた。

慰安婦問題の解決は、「慰安婦」にされた女性たちに対してだけでなく、日本の女性や子どもをとりまく状況を変えるためにも必要なことだと思う。ハルモニたちとの出会いによって、「私たちが諦めたら、なかったことになるんだな、そうはさせないぞ」と思った。慰安婦問題のことだけでなく、今、向き合っている少女たちを取り巻く日本の現状についても。 帰り際に「頑張ってね」と言って握手してくれたハルモニの手はしわしわで、温かった。この出会いを忘れずに、私はこれからも声を上げ続けていきたい。


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