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『終わらない戦争』韋紹蘭さん追悼上映会の報告

更新日:2020年6月9日


「謝罪されない」ことによる社会への影響とは

ー 韋紹蘭さん追悼上映会 『終わらない戦争』

・日時:2019年8月11日(日)13:00~15:00

・会場:早稲田大学・戸山キャンパス32号館128教室 

・トーク:熱田敬子(早稲田大学講師)×梁澄子(キボタネ代表理事)

中国・桂林で、日本軍性奴隷制被害者になった韋紹蘭(イ・ショウラン/ウェイ・シャオラン)さんが2019年5月5日、逝去されました。享年99歳でした。

韋紹蘭さんは、1944年11月、幼い娘とともに日本軍によって拉致され、性奴隷にされました。命からがら逃げ出し、故郷の村に戻った韋紹蘭さんは、日本兵との間にできた子どもを出産。息子の羅善学(ラ・ゼンガク/ルオ・シャンシュエ)さんは、村人から「日本軍の子」と呼ばれ、差別を受けました。韋紹蘭さんと羅善学さんは戦後、周囲の社会から隔絶された環境で苦しい生活を強いられます。

KIBOTANE CINEMA Vol.5では、韋紹蘭さんへの追悼の意を込めて、彼女を含む4ヶ国5人の被害者の証言を集めたドキュメンタリー映画『終わらない戦争』を上映。戦時の被害体験、戦後の人生について知り、被害者が求めた“真の謝罪”とはどんなものであったか学びました。上映後には、早稲田大学講師の熱田敬子さんをお招きし、中国の日本軍性奴隷制被害の実態、韋紹蘭さんの背景などについてお話いただきました。当日の様子をレポートします。

■深い傷を抱えた女性たちは戦後もそこから逃れることはできない

当日は約70名を 超える来場者が集まりました。最初に、希望のたね基金代表理事の梁澄子が挨拶しました。

「私が韋紹蘭さんを初めて知ったのはこの映画でした。その後、2010年に『2000年女性国際戦犯法廷』10周年のシンポジウムで来日された時に、初めてご本人と息子の羅善学さんとお会いしましたが、本当に痛々しい表情をされていたのが心に残っています」

『終わらない戦争』が制作されたのは2008年。当時は、各国の日本軍性奴隷制被害者が来日し、損害賠償請求訴訟を続けていました。そんな中、日本において中国の被害者といえば、山西省盂县という小さな地域の方々のことしかわかっていない状況でした。梁代表は、山西省の被害女性の裁判支援を行う人々とともに盂县に渡ったエピソードについて語りました。

「当時、山西省に行って感じたことは、戦後の被害の深さでした。私が多く接触してきた韓国の被害者らは、植民地の朝鮮から他国に連れて行かれて、戻って来ても故郷には帰れないという女性が少なくなかった。山西省の被害者は、自分が生まれ育った村に日本軍がやってきて、そこで被害に遭っています。そうすると、周りの人たちも被害について知っている状況で、戦後も生き続けるしかない。どちらの傷が深いかということではありません。それぞれに深い傷を抱えた女性たちは、戦後もそこから逃れることはできないんです」

「韋紹蘭さんの場合は、日本兵の子を産んでいます。つまり、彼女からしたら被害の記憶が一つの命として生きているということだと思います。そんな中で、人生を歩んできたんだということの衝撃はすごく大きかった。たくさんの被害者に会った中でも、やはり忘れられない出会いでした」

■中国の被害者は「慰安婦」という言葉を受け入れられない方が多い

続いては、ゲストの熱田敬子さんがトーク。ジェンダー学、社会学を専門に早稲田大学講師を務める熱田さんは、中国語の通訳・翻訳家もされています。大学在学中に映画『ナヌムの家』の上映会を行い、日本軍性奴隷制問題に関わるようになり、山西省などで被害者支援に関するフィールドワークを行っています。

「日本軍性奴隷制の問題は、ジェンダーの問題だけじゃなく、貧困や民族、戦後責任などあらゆる問題が凝縮されていることに衝撃を覚えて、大学在学中にこの問題に取り組み始めました。2010年からは、山西省盂县の被害女性の裁判支援をしてきた山西省・明らかにする会にご一緒させていただいて、山西省に行っています。現地に行った者として、情報を伝えていかないといけないと考えています。そこで、最初にお伝えしておきたいのは、中国の被害者は『慰安婦』という言葉自体を受け入れられない方が多いということです」

その理由について熱田さんは、強姦を「慰安」と言い換える欺瞞性・自発性をにおわせる「慰安」という言葉への拒否感に加え、中国には大きく分けて4つの被害があったことだと話しました。

「1つ目は『慰安所』ができるきっかけにもなった大規模レイプの発生。例えば、南京大虐殺では同時におびただしい強姦も起きています。レイプが続くと、反日感情が高まり治安維持に影響するとして、日本軍は『慰安所』を設置し始めます。2つ目は、その『慰安所』に入れられた女性たちの被害。3つ目は、強姦所での被害。軍が管理する『慰安所』とは違い、強姦所は前線の兵士たちが現地の女性を拉致して勝手に作った私設レイプセンターです。『慰安所』は全く強姦の防止にはならなかったということです。4つ目は、侵略と一体化した戦場強姦。日常的に起きていたレイプで、掃討戦に参加した兵士に強姦されたり、占領された村では逃げられない中で継続的に強姦されたりした人もいます。海南島などでも、戦場強かんによって島全体がパニックに陥ったそうです」

以上のように、中国の女性は「慰安婦」という言葉への拒否感だけでなく、事実としても「慰安所」以外で被害に遭っていて、自分に『慰安婦』という言葉が当てはまるという認識がない人もいたそうです。

「中国で最初に被害を名乗り出た万愛花さんは、自分を『慰安婦』と呼ぶこと自体が二次加害だとはっきりおっしゃっています。なので、今日、私は『慰安婦』という言葉を使いたくありません。これはいろんな考え方があります。例えば、在日朝鮮人被害者の宋神道さんのように、『慰安所』で被害に遭ったことを明確に言いたいから『慰安婦』という言葉を手放さないという方もいます。それぞれの被害者がどんな状況にあったのかをきちんと理解し、尊重し、その人たちが受け入れられる言葉を探すことが私たちには必要なんじゃないかと思います」

■桂林の韋紹蘭さんの身に起きたこと

韋紹蘭さんの故郷・荔蒲県がある桂林には「桂林の山水は天下に甲たり」という言葉があり、霞がかかった美しい漓江の景色が有名だそうです。水墨画という技法は、この景色を写し取るために生まれたものだと言われているほどなのだとか。

【撮影:熱田敬子】

「しかし桂林は、中国戦線の中で最も激しい戦いがあった場所の一つとされます。桂林戦では日本軍は毒ガスも使い、陥落後、この川に死体が5km以上に渡って浮いている状態が数日間続いていたとも言われています。桂林占領は『大陸打通作戦』の中で行われましたが、そもそもこの作戦は補給を略奪でまかなうという方針だったので、日本軍の略奪が常態化していました。少数民族である韋紹蘭さんは桂林近くの荔蒲県の村に住んでいて、日本軍に捕らえられ、トラックに乗せられて連れて行かれたと証言しています」

熱田さんは、韋紹蘭さんが日本軍に捕まった時の状況について、数々の証言を参照しながら詳細に語りました。

「日本軍が来た時、韋紹蘭さんは乳飲み子を背負っていて逃げ遅れ、子どもとともに捕まりました。捕まってしばらく経つと、子どもをあやすために外に出ることを許可されます。同時に、川で洗濯などの雑用をさせられていました。そこで、韋紹蘭さんは周囲の様子をじっくり観察したそうです。どうしたら逃げられるだろうかと、村の地形をしっかり頭に入れたと語っています。そして逃げる機会をずっと伺っていた中で、見張りの兵士が居眠りを始めたので、明け方に娘をあやすふりをしながら、そーっと横を抜けて逃げ出し、自分の家に帰りました」

熱田さんによれば、『終わらない戦争』の中で韋紹蘭さんは「夫は『よく帰ってきた』と迎えてくれた」と言っていますが、別のドキュメンタリー映画『三十二』の中では、「夫に真っ先に罵倒された」と言っているのだそうです。なぜ証言が異なっているのでしょうか。

「実は『三十二』が撮られる前に夫が亡くなっているんです。推測ですが、夫がもういないということで出てくるようになった証言なんじゃないかと思います。韋紹蘭さんの夫は、帰ってきた彼女に対して『お前は外に行って、悪い遊びを覚えてきたんだろう』と罵倒します。そこで助けてくれたのは義理の母と隣人のお姉さんでした。それで彼女は家にいられるようになったんですが、それから1ヶ月もしないうちに最初の娘が亡くなり、韋紹蘭さんの妊娠が発覚します」

「彼女は自殺をしようと思って、一度毒を飲んでいます。その時に助けてくれたのは、夫の兄嫁でした。『死んでどうするの、あんた死んじゃいけないよ』と毒を吐かせてくれて、それで死ぬのをやめたそうです」

日本軍性奴隷制被害者として、韋紹蘭さんが名乗り出ることができたのは、そういった周りの女性たちの存在が大きかったのではないか、と熱田さんは話します。それを受けて、梁代表は、韓国の被害女性たちの実態について紹介しました。

「韓国の女性たちも、お母さんや姉妹たちは受け止めてくれたけど、お父さんに拒絶されることで、二次被害を受けたという人は結構いるんですよね。今、日本では『平和の少女像』が話題になっていますが、やはり日本人男性の中にはどうしても少女像を受け入れられないという意識があるように感じます」

■「謝罪されない影響」とはなんなのか

「映画『三十二』にもいろいろな問題があり、手放しで褒めることはしない」と断りを入れた上で、熱田さんは当該作で描かれていた韋紹蘭さんの姿について言及。『三十二』の冒頭シーンで、韋紹蘭さんが少数民族・ヤオ族の歌を口ずさむシーンについて解説しました。

「『三十二』という映画は、この韋紹蘭さんの歌で始まり、この歌で終わります。どういう意味の歌詞なのか紹介します」

   “雨が降れば道が滑る 自分で転んだら自分で起きよう 自分の憂いは自分で解こう 

    自分の涙は自分で拭こう”

「韋紹蘭さんは2010年に息子さんと来日して『謝罪してほしい』とはっきりおっしゃっているんですが、『三十二』の中で、その話は一切出てきません。 “かわいそうな辛いことがあったけど、健気に生きているおばあちゃん“として映画の中で描かれてしまい、謝罪や賠償を求める彼女の怒りの側面が消されてしまっているのです」

『三十二』を撮った郭柯監督は、その後に同じく日本軍性奴隷制をテーマにした『二十二』という映画も撮影しています。生存している中国の被害女性たちを登場させていますが、裁判を闘った原告の女性たちが話すシーンはほとんどないのだそうです。

「中国で何度か講演をしたこともありますが、この映画を観た中国の方々から『いい映画ですよね。かわいそうなおばあちゃんですけど可愛いですよね』などと言われることがあります。そういう感想を聞くたびに本当に胸が苦しくなります。あんなに勇気をもって、血を吐くように訴えていた人の声が、どうして『かわいそう』『可愛い』になってしまうんだろう。やっぱりそれは、日本が謝罪しなかったからなんです。謝罪と賠償が行われていれば、その意味は、必ず中国社会でも報道されたはずだし、被害女性の周囲の人たちも理解したでしょう」

日本軍性奴隷制問題における“謝罪”が、中国社会の中で曖昧なものとして捉えられている現状に危機感を覚えると、熱田さんは語ります。

「謝罪・賠償しないというのは、本人たちに対する影響だけじゃなく、社会に与える影響もものすごく大きいんだということを今の中国社会を見ながら、辛く感じています。もちろんそれは日本社会もですが。韋紹蘭さんについて、『終わらない戦争』や2010年の姿ではなく、この歌のような面だけがフォーカスされてしまう」

歌は、さらに以下のような歌詞が続きます。

“命の短さを嘆いても貧しさを嘆かない 野の草を食べたって生きていける この世界はよいところ”

「現代、経済発展をした中国都市部の層と、発展が遅れる韋紹蘭さんたち少数民族の村など、農村部と都市との格差は極めて大きくなっています。その中で、農村の被害女性の姿が映画の中で抒情的に『健気』に描かれているのですが、被害女性たちの闘いは一方であまり知られていない。被害女性の名誉回復のために、どんなに遅くなっても謝罪は必ずなされなければなりません」

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映画『終わらない戦争』は、日本軍性奴隷制被害者たちの壮絶な被害の証言と深刻な心身の傷跡を生々しく映し出しています。しかし、日本においては今日まで彼女らに対する救済の手続きがなされないまま、事実上放置されている現実があります。

そんな状況下で、私たちが被害事実と向き合っていくためには、被害者の状況を知り、彼女らの声を尊重し、誠実に対応することが重要です。映画を観て、そして熱田さんのお話を伺って、日本軍性奴隷制 被害者と関わる上で大切な基本的な姿勢について、改めて学ぶことができたと感じました。

(阿部あやな)


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