【2021若者PJT】池田恵理子さんの運動史聞き取り感想文

坪井佑介

今回の若者プロジェクトでは2022年3月27日、4月9日、4月24日の三回にわたって池田恵理子さんにお話を伺いました。池田さんはNHKの番組ディレクターをされていた方で、1990年代には薬害エイズや東ティモールでの人権問題、そして日本軍「慰安婦」問題を扱った番組も制作しました。その後、NHKで日本軍「慰安婦」問題を取り扱うことが難しくなってからも、女性映像集団「ビデオ塾」を創設して「慰安婦」被害者や女性国際戦犯法廷を記録した映像作品を作ったり、2000年女性国際戦犯法廷の実行委員として法廷の準備に関わったり、あるいは「山西省・明らかにする会」の事務局メンバーとして中国の性暴力被害者の裁判支援や調査活動に関わるなど、一市民運動家としても精力的に活動してこられました。3回の聞き取りに私は残念ながら全てオンラインでしか参加できませんでしたが、穏やかだけれども強い芯の通った池田さんの語り口から繰り広げられた数々のお話はどれも大変印象深く、画面越しで聞いていた私も強く心を揺さぶられました。

 池田さんはこれまで様々な形で日本軍性奴隷、戦時性暴力問題の解決のために奔走してこられ、これからも自身が「朽ち果てるまで」運動を続けたいとも語られていましたが、まさに池田さんにとって日本軍「慰安婦」問題は人生最大のテーマでした。そして、池田さんが生涯をかけてこの問題に取り組んできた背景には、不正義がまかり通っている状況に対する怒り、人権侵害をなくし社会を変えたいという強い気持ちが常にあったのだと分かりました。例えば高校時代、ベトナム戦争のニュースをみて「許せない」と思う気持ちが強まり、学校でもベトナム反戦を訴えたそうです。また、就職でマスコミを選んだのも、その当時のウーマンリブや女性運動をバカにするような報道への怒りがあり、自身が就職して男性視点に凝り固まったメディアの姿勢を内側から変えたいという思いがあったからだとお話くださいました。社会の様々な問題をただ受け流すのではなく、それらを自分の行動から変えていこうとする姿勢の大切さを池田さんから学びました。

 NHKの差別的な報道を変えたいと思って入社したものの、なかなか自分のやりたいテーマで番組を作ることは難しかったと池田さんは言います。ジェンダーや性の問題、戦争加害の問題は社内でもタブー視され、とりわけ南京大虐殺や日本軍「慰安婦」、昭和天皇の戦争責任などはほとんど企画が通らない「超難関テーマ」だったそうです。それでも日本軍「慰安婦」の歴史をはじめて被害者の証言から聞いた時の衝撃と、そうした過去を学校で教わってこなかったことに対する憤りから、池田さんは絶対に番組を作ろうと決心しました。そして金学順さんの公開証言が行われた1991年から96年にかけて8本の「慰安婦」関連番組の制作に関わられたということでした。私たちプロジェクトメンバーも池田さんが制作した番組のいくつかを視聴しましたが、日本軍「慰安婦」問題とはどのような問題なのか、サバイバーの女性たちがどのような経験をし、何を訴えているのかを知ることができる大変貴重なドキュメンタリーだと感じました。

その後現場の仕事からは外されてしまいましたが、「ビデオ塾」で日本軍「慰安婦」問題に関する記録映像を撮り続けてきました。また、女性国際戦犯法廷を取り扱った番組の改竄事件に対してNHKと裁判を行うなど、NHKの仕事をする傍らで日本政府やNHKの不正義と闘ってこられました。タブーとされた日本軍の戦時性暴力に正面から向き合って活動してきた池田さん。NHKにいながら、NHの方針と違うことをやるのは大変ではなかったのかという質問に対して、ご自身が「鈍感」だったのもあってあまり気にすることなく行動していたと語られました。私はある意味で、池田さんはあまり空気を読まない人だったのではないかと思いました。何となく日本軍「慰安婦」のことを話題にしにくい、アジアへの加害の歴史を語りにくいといった空気。ですが、その空気感こそが日本軍「慰安婦」問題の解決を遠ざけ、日本が戦争責任、加害の歴史に向き合わなくなった最大の要因の一つではないでしょうか。私自身も周りの人々と接する中でそうした空気に流されてしまったことが何度もあったように感じます。報道者として、そして一市民として、そうした空気に抗っていく、むしろ自分が新しい空気を社会に吹き込んでいくくらいの勢いでタブー視されていた問題に斬り込んでいった池田さんの活動から強い感銘を受けました。

池田さんは映像作品を作るとともに、日本軍戦時性暴力の歴史を学ぶことができるアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)の建設を行ったという話も伺いました。池田さんは現在もwamの一員として活動されています。日本軍「慰安婦」問題が授業でも報道でもほとんど触れられなくなった今、映像記録や資料館を通して当時の歴史や背景、その後のサバイバーによる運動を知ることができるのは大変重要なことであると思います。私のような若者世代は、これまで運動してこられた方々が残した記録や資料をしっかりと活かして、日本軍戦時性暴力の歴史への理解を深めていくことが大切であると思います。その上で、これからますます過去の戦争が風化されようとする中で、日本軍「慰安婦」問題やサバイバーの女性たちの歴史をどう記憶し、次の世代にいかに継承していけるかを考えていきたいと思いました。

三回にわたって私たちに貴重なお話をしてくださった池田さんには心から感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。

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