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「いつまでも、どこまでも、かのじょたちは今も私たちと共にいる」ー『ナヌムの家』上映会①【報告】

更新日:2020年6月9日


先日、7月29日(日)に行われた第一回「ナヌムの家」上映会の報告が届きました。

キボタネの運営委員の新畑さんのすてきな報告です。以下に掲載します。

是非、ご一読ください。

なお、10月7日(日) 14時30分(開場14:00)から、上映会の最終回『息づかい』が上映されます。

スペシャルゲスト 石原燃さん(劇作家)と北原みのりさん(キボタネ理事)のトークもご用意しております。是非とも、足をお運びください。

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「わたしはどこにも行かないよ。/ご飯まだでしょ?たくさん食べな。」

 去る7月29日、「ナヌムの家」3部作連続上映会、第1回を開催した。

 会場は矯風会館ホール。参加者は110名ほどで、ハルモニたちが発した言葉を通し、それぞれに感じ取ったことを噛みしめ、胸に刻む時間となった。上映後は、映画の登場人物でもある尹美香(ユン・ミヒャン、正義記憶連帯代表)さんから、映画では触れられなかったハルモニたちの来歴や、撮影当時の出来事などを伺うことができ、貴重な機会となった。

 「ナヌムの家」が公開された1995年当時といえば、今から23年前のことである。本上映会は「今、再び出会う」と冠するが、20代・30代の若い世代の多くにとっては「今、はじめて出会う」映画だったに違いない。会場全体を見渡してみると、中年以上の世代は確かに多かったが、それでも20代から30代と思われる青年層や、夏休みに入ったからだろうか、小学生の親子連れもおり、会場は老若男女、幅広い年齢層の観客であふれた。

 休憩の合間に会場を見渡し、観客の表情をみてみると、それぞれに得るものがあったように感じられた。撮影当時のハルモニの語りが、時間を経て映像を通し、新たな聴き手を獲得する場が形成されていたように思う。けれども、私たちが生きるいま、言説空間に何が広がっているのか眺めてみたとき、肯定的なものばかりでは必ずしもない。だからこそ、かのじょたちが証してきた言葉にあらためて向き合いたい。ここに「再び」と冠する意味が込められているのではないだろうか。

 さて、肝心の映画の中身である。邦題は「ナヌムの家」、分かちあいの家を意味する。食材を調理し食卓を囲む場面や、愚痴めいたことをこぼし合ったり、デモに向かうとき一本の栄養ドリンクを回し飲みしたりする場面は、「分かち合う」ことを端的に象徴していた。加えて食事のシーンが多かったのは、共に食べることが、すなわち共に生きることを表すように映った。ハルモニたちはきっと、スクリーンの前にいる私たち観客をも巻き込み、生きる意味を問い、分かち合いたかったのではないか、そのように感じられたのである。

 一方、原題は「ナジュン・モクソリ」、英語タイトルは"The Murmuring"である。「低い声」、「繰り返されるつぶやき」などと訳されるのだそうだ。前半部で「生きている価値などない」「死んでしまいたい」「60くらいでくたばっちまえば良かった」などと自殺念慮を口にするハルモニたちが登場する。一人ひとり悲痛な思いを抱えながら、共同生活のなかでそれぞれ自らの経験を語り出す。それらの経験に耳を傾けて、どれほどつらかったことだろうと想像した。

 映画のなかほどでは、中国湖北省武漢に取り残された朝鮮人元「慰安婦」らが登場する。そこで最も衝撃を受けたのは洪江林(ホン・ガンニム)さんのインタビューである。たくさんの日本軍兵士の相手をするため、性器の下の方を切られ、性器を拡大する手術を強制される。耳にするのも憚られる強烈な経験に胸が張り裂けそうになる。かのじょたちは祖国である韓国に帰国したいと切望していた。わざわざ武漢から中国東北地区まで遠出し、朝鮮米を買ってくるシーンがそれを物語る。

 ほどなくして場面はナヌムの家に戻る。ハルモニたちが、自らバスに乗り込み「水曜デモ」に向かう光景は、どこか楽しげに映る。その一連の様子をみると、韓国社会は当時、この問題に対し驚くほど無関心だったことがよく分かる。それでも、たくましく世論に訴えかけようとしたハルモニたち。かのじょたちに一体何が起きていたのか。自殺念慮すら口にしていたところから、仲間と出会い、ナヌムの家での共同生活を通して少しずつ癒やされていく過程に、その変化を読み取ることができるだろう。

 最後に印象に残るのは1994年12月、忘年会のシーンである。共に食べ、語り合い、歌い、終りには踊り出す。その場に一際目立ち、そのひょうきんさに誰しもが親しみを覚える、姜徳景(カン・ドッキョン)ハルモニがいた。忘年会の終わり際の会話に次のくだりがある。「グッバイです。今日、こうして先生やみんなに会うのも。実は今日でお別れなんです。」どこに行くんですか、との問いに「どこにも行かないんです。お別れっていったって、せいぜい静かな山奥ですよ。山奥へ行ったら手紙を書きますよ」と冗談めかして言い放つ。

 姜徳景(カン・ドッキョン)ハルモニが最後の会話のなかで語った言葉は、実は今も生きているのだと思う。すでに映画に登場したハルモニたちは亡くなっている。そのこと自体はとても悲しいことだが、かのじょたちが映画を通して託した言葉がある。そこから聴き取り続けて欲しいと語りかけられていたのではないかと思う。私は、その静かな山奥から手紙を受け取った。

「わたしはどこにも行かないよ。/ご飯まだでしょ?たくさん食べな。」

この映画全体から受け取ったメッセージとして、私は上記の言葉を噛み締めて、胸に刻みたい。

いつまでも、どこまでも、かのじょたちは今も私たちと共にいて、まだ見ぬ世代へと分かち合う機会を出会うたびごとに与え続けてくれる存在なのだ。


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