キボタネ連続講座2025「戦後」80年って!?東アジアの視点で問う「戦後」80年 第4回 朝鮮半島 の報告
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キボタネ連続講座2025「戦後」80年って!?東アジアの視点で問う「戦後」80年 第4回 朝鮮半島 の報告
日時:2025年8月10日(日)19:00~21:00
講師:尹美香さん
今回の連続講座の最終回である第4回は、韓国での運動を長きにわたって牽引してきた尹美香さんにお話を伺いました。
日本による植民地支配から解放された後も、朝鮮戦争を経て南北に分断されてしまった朝鮮半島。朝鮮民主主義人民共和国で生まれ「慰安婦」とされ、今年の2月16日に故郷に帰れないまま亡くなった吉元玉ハルモニの人生から、サバイバーの「終わらなかった戦争」を考えることができた時間でした。
「私は13歳で家を離れ、いまだ家に帰れずにいる吉元玉です」という吉元玉ハルモニの悲しい自己紹介が、今も心に残っています。13歳のころ、監獄にいる父親を助けるためのお金を稼ごうと家を出た吉元玉ハルモニは、騙されて「慰安婦」とされました。解放後も、保護してくれる存在である家族や夫がいないなかで、暴力から身を守るためにたった一人で韓国各地を移動し続けなければなりませんでした。吉元玉ハルモニが挺対協に被害を申告したのは、他の被害者より10年ほど遅れた2002年のことだったそうです。
吉元玉ハルモニといえば、活発に証言活動や水曜デモに参加している「人権活動家」としての姿が一番に思い浮かびます。しかし、今回のお話を通して、ハルモニが挺対協と出会う前、1人で韓国をさまよい続けた歳月がどれほど長く苦しいものだったのかを、改めて感じました。日本軍「慰安婦」問題を「日韓」の外交問題としてのみとらえていては、こうしたサバイバーの姿はまったく見えてこないでしょう。日本による植民地支配の結果生まれた朝鮮半島の分断がサバイバーの人生にどのような影響を与えたのか、一人ひとりの人生の中で起こった問題として日本軍「慰安婦」問題を考える必要性を強く感じました。同時に、今まで何の考えもなく「戦後」という言葉を使ってきた自分の無知さ、思慮の浅さを痛感しました。
こうしたお話を、吉元玉ハルモニと20年以上もともに歩んできた尹美香さんからお聞きできたことも、とても貴重な経験となりました。たくさんの写真や映像、吉元玉ハルモニの描いた絵を通して、一人の人間としての吉元玉ハルモニが今まで以上に鮮明に私の前に現れてくれたように感じました。
メディアからの事実に基づかない執拗な攻撃など、活動の中で深い傷を負いながらも、サバイバーとの約束を胸に活動を続ける尹美香さん。サバイバーの経験や思いはもちろん、サバイバーをそばで支えともに闘い続けた人々のことも記憶されなければならないと強く思いました。今回のお話を聞いて終わりとするのではなく、今後自分が日本で何ができるのか、何をするべきなのかを改めて考えさせられる時間でした。
希望のたね基金
藤田千咲子



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